文系から理系大学院へ。大学院からアパレル販売員へ異色の経歴のルーツ
理系の大学院を卒業した人の職業って何が多いと思いますか?理系の職業で、年収別にあげてみると実はこんな感じ。
- ITコンサルタント 599万円
- プロジェクトマネジャー 597万円
- セールスエンジニア・FAE 542万円
一方の環境情報学専攻のワタクシの経歴。
「元アパレル販売員3年、経理担当2年で、WEBディレクター3年」の8年選手。
自分の専門じゃない職種の方が経験が多いっていう不思議な経歴です。
今回はそんな異色?な職種や経歴だからこその「自分の今」をご紹介したいと思います。コイツどんなやつなんだろう…っていうところを、少しでも覗き見ていただければと思います。
ど文系の高校生が理系の大学院まで行っちゃった☆
実は小学生のときは算数が大の苦手でした。
なもんで、高校では文系のクラスにいました。毎日の授業は受験のために、英語・日本史・現代文・古典のエンドレスクラス。
が、高校2年生くらいから日本史と古典はほとんど勉強してません。
高校2年のときに志望校は決まっていて、英語と小論文が受験科目だとわかっていたから、必要ないものはほとんど勉強してませんでした。
もはや高校生のときから、少し今の「最小限の仕事量で最大限のパフォーマンス」の意識が芽生え始めていたのかも…?
高校3年のときはほぼ英語と小論文を極めました。小論文に関しては全国模試8位という自分の人生で最高に賢かった(笑)
残念ながら第一志望には行けなかったものの(ここが自分の甘いところだと最近思います…)、情報メディアが学べる理系大学へ入学。
まさか大学1年の最初のクラスで微分積分が出てきて、のちのちあんなに苦労するなんて思ってもみませんでしたけど…
そんな根っからの文系のワタクシですが、大学と同じ専攻で大学院まで進学しました。文系でもプログラミングとか、アルゴリズムとかできるようになるんですよ笑
そこで学んだプログラミングやアルゴリズムの考え方がロジカルな思考というのを身につけることにとても役立ちました。
もしこうだったらこの処理をするというのを書いていくもの。要素を分解して、想定の条件の場合にはこうする…みたいなことを考えていくので、そのプロセスが少し役立っているのかもしれません。
大学時代は、高校のときに極めた英語を武器に(笑)、塾で高校生たちに英語を教えてました。数学じゃなくて英語。というかいまだに数学できません…
数学よりも人と会ったりするのが好き。塾で教えることはとても楽しくて、生徒さんたちができるようになったりすることが本当に嬉しかったです。
受験前にはお参りと合格祈願にも行ってました。
…なんていい先生なんだろう(*´艸`*)
この記事を読んでいるあなたが、文系から理系大学院へ進学したいなら、文系から理系へ理転するときに、必要なことを考えてみました。
こちらの記事もぜひ読んでみてください。
理系修士からアパレル販売の道へ
「なんで理系の大学院まで行って、うちの会社を志望するんですか?」
これは私が就職活動をしている間に何度も言われた言葉です。
当時ブライダル演出のアルバイトをしていて、ウェディング業界を志望していました。
ウェディング業界で働きたかった理由は、特別な想いで特別な瞬間を迎える人たちを裏方としてサポートしたいから。
どこからも内定がもらえないまま、入った会社は私が就職活動や卒業式のドレスを売っていた企業です。
当時、壮絶にダサかった私(笑)。可愛くなりたくて洋服を買いに行っても、当時は販売員の人にも全く相手にされない(´・ω・`)
私にとっては、「素敵な自分になりたい」という特別な想いがあったのに、それを叶えてくれる人はほとんどいなかった。
なのに、母が一緒にいると一斉に近寄ってきたり…(笑)
だから「どんな会社なんだ、そんな会社変えてやる!!!」っていきごんで受けたら、気が付いたら就職してました∑(゚Д゚)
そんなんで最初の異色経歴である、リケジョ修士からアパレル販売員となることに。
今思えば、この経験がなかったらなんかとっつきにくいとか、近寄り難いっていう印象のままだったのではないかなぁと思います。
引っ込み思案な性格も、今では初対面の人と話すの全くなんでもない!ってまでになりました(笑)
こう考えると、今の自分のルーツってこんなところにあるんだなぁ…としみじみ実感してしまいました。
こんな私のルーツ、読んでいただきありがとうございます(*ノωノ) イヤン
ちなみに、仕事だけではなく自分の人生については、こちらの記事でも深く掘り下げてみました。
3つの職種を転々とした話、婚活の話、海外と日本で遠距離恋愛した末路などを語ってます(笑)。